青森家庭裁判所 昭和50年(少)526号 決定 1976年3月01日
少年 S・I(昭三二・七・六生)
主文
少年を特別少年院に送致する。
昭和五〇年二月一四日、山形家庭裁判所鶴岡支部がなした少年を中等少年院に送致する旨の決定はこれを取消す。
理由
(非行事実)
少年は、金品を強取しようと企て、昭和四九年一一月二九日午前二時ころ、埼玉県秩父市○○○○○××番地の×○越○弘方居宅に玄関から侵入し、同人方奥六畳間等において、同人の妻○越○重○(当時三一歳)に対し、所携の包丁を突きつけ、「静かにしろ、騒ぐと殺すぞ。」、「金を一〇万円出せ。」などと申し向けて脅迫し、その反抗を抑圧したうえ、同女より同女所有の現金三二、〇〇〇円在中の財布一個を強取したが、その際劣情を催し、畏怖している同女に馬乗りとなり、パンテーを引きはずして、強いて姦淫したものである。
(適条)
刑法一三〇条、二四一条前段
(処分)
一 少年の生育歴、家庭環境については、出生後間もなく、実父が少年と実母を遺棄したまま所在不明となり、少年は他人の手で養育されたこともあり、その後実母に引きとられ、実母と内縁関係にあつた養父と共に生活していたが、十分な愛情を受けられず、基本的な生活態度の躾がなされないまま、放任的、拒否的に養育されるという恵まれない状況にあつて、早くも小学校四、五年生のころには怠学、家からの金銭の持ち出し、女児へのわいせつ行為などの問題行動があらわれてくるようになつた。
少年は、昭和四三年七月二七日から昭和四五年一二月二六日まで教護院山形県立○○学園に入院し、その後窃盗やわいせつ行為などを犯して、昭和四六年一月一三日再び同学園に入院したものの素行は改まらず、同年一二月一一日から昭和四八年三月二〇日まで国立教護院武蔵野学園に入院するなど長期に亘る改善教育が施されてきた。その間長い施設収容のため愛情飢餓の状態が長く続いてきたため、視野の狭い自己中心的な歪んだ性格が形成されてきたという側面も否定できないものと考えられる。
その後、少年は、昭和四九年四月一六日、九歳の少女に対してわいせつ行為を犯して、昭和五〇年二月一四日山形家庭裁判所鶴岡支部において中等少年院に送致され、現在青森少年院に収容されているものである。
二 本件非行は、昭和四九年一一月二九日に犯したもので、少年が昭和五〇年六月ころ、青森少年院の職員に対してなされた余罪申立が基礎になつて、捜査官による裏付捜査がなされ、当庁に送致されてきたいわゆる余罪である。
少年は本件を申立てた動機として、少年院を退院した後、本件が発覚し、再び身柄を拘束されたくなかつたので、この際全部申立ててすつきりしたかつた旨述べ、それは真摯な更生意欲と、打算的な心情によるものであることが窺われる。
三 そこで、この際少年に対していかなる措置をとるのが、最も妥当であろうか。
少年は、青森少年院に入院して一年余を経過し、本年三月一日付で一級の上に進級し、青森少年院では、現在の状態でいくと本年五月ころ出院の見込みであり、本件非行についての処分は、家庭裁判所に一任する旨述べ、特に問題行動もなく過してきていることから、別件保護中であることを理由に不処分決定も考え得るところであるが、強盗強姦という重大犯罪を敢行したことと、その申立の打算的心情をそのまま承認してしまうということになれば、再犯の可能性の高い少年に対してはかえつて自覚を高める機会を逸し、教育的効果を減殺させてしまう結果になることが憂慮されるというべきである。
次に、本件を検察官に送致して、少年を刑事処分に処するという点について考えるに、本件は兇器を用いた許画的な犯行であり、少年の犯行とは思われない大胆な手口であることなどから、刑事処分が相当であるとの考えも、もつともなこととして理解しうるところである。しかしながら、強盗強姦罪は極めて重大な犯罪で、法定刑は無期又は七年以上の懲役と規定され、自首したことや、少年であることを斟酌しても、相当長期間の不定期刑が言渡され、現実に刑務所に入所する期間も特別少年院に収容される期間に比してはるかに長期に及ぶことが予想されることのほか、本件犯行時少年は一七歳であり、青森少年院ですでに一年余の教育を施され、その間に自発的に本件を申立てたことなど諸般の事情を総合して考慮するとき、いまこの時点で、少年を刑事処分に付さなければならないというまでの必然性は見い出し難いといわなければならない。
以上の次第で、本件犯行の重大性を認識させ、固着しつつある非行傾向を除去するため、この際、少年を特別少年院に送致するのが、最も妥当であると判断する。
よつて、少年法二四条一項三号、少年審判規則三七条一項、少年院法二条、少年法二七条二項を適用して主文のとおり決定する。
(裁判官 佐藤康)